ネムレナイ
読んだ本「虐殺器官」

「虐殺器官」伊藤計劃

【A】

ゼロ年代小説、とはこういうものを言うのだろうか。
一言でいえば、ゲーム的リアル、となる。

意味の喪失、サバイバル、根本的に自己しかない


追跡可能性管理社会、環境追従迷彩、人工筋肉、オルタナ、**ネットワーク、HALOなど多くの設定、ギミックが出てくるが、どれもストーリーおよび主題にかかわるものではなく、ただ「虐殺器官」の世界を構成するためのものである。この点が実にゲーム的である。ゲームをゲームとして成立させるための要素は、特に説明されることも、ストーリーに関わることもない。

そして逆にテーマであるところの「言語という器官」にしてみても、フッと出てきて、いつの間にか小説が終わっている。例えば、Web上での増大するテキストと、虐殺器官という概念をリンクさせてストーリーを進めていけば、より言語に焦点が絞られただろう。

しかし、その必要はないのだ。ゲーム的な楽しみは、ただ動的にプレイすることそのものが楽しいのであって、序盤からはられた一貫したテーマが、終局に帰結することにあるのではない。その意味においても、ゲーム的リアリティなのだ。

読んだ本「タイタンの妖女」

「タイタンの妖女」カート・ヴォガネット・ジュニア

【S】

名作、と評価を受ける作品は少なくはない。しかし、それらは「過去の名作である」ということをもって、その作品のよさが理解されること得てして多い。時を経てもその中身が読者にとってリアルに感じられる作品は、少ない。この「タイタンの」は、その非常に数の少ない時の試練を耐えうる作品だった。

というかタイトルで絶対に損してる。そんな重要かな、、、タイタンの妖女


一見するとバカバカしいような、オールドアメリカンSFチックな描写が、書き方次第でここまで裏にある「何か」を暗示しているところにある。実際、火星人襲来の古い小説を題材に取った、現代文学だと言われても違和感がなく感じられる。火星陸軍、アンテナ、ハーモニウム、マラカイの首つり人形、トラルファマドール星人。。。


そして何よりも、この小説で何を言いたいかがさっぱりわからないのだ。おそろしいまでの意味の空白。アンクが最後の最後に救われるのも、催眠でしかなく、サロは千八百万年の旅を再開する。